2026年8月6日木曜日

低中所得国の脆弱層な子どもたちと「学校安全」から考える口の健康

低中所得国においては、経済的貧困や障害などの困難を抱える「脆弱層(要配慮集団)の子どもたち」ほど、口のトラブルに直面しやすく、それが「学校に通えない」「安全に学校生活を送れない」という二次的な問題へつながっていることをご存じでしょうか

今回はパキスタンなどの研究文献をもとに、脆弱層の子どもたちが置かれている現状と、学校安全の観点から果たすべき役割について解説していきます

1. 脆弱層(要配慮集団)の子どもたちが直面する「二重・三重のバリア」

一連の研究(Abdalla & Mohamed, 2022; Hamid, 2019; Rizvi & Bashir, 2015など)では、家庭環境や身体的・精神的状況によって、子どもの健康状態に大きな差が生じていることが明らかになっています

① 貧困層の子どもたち

保護者の所得や教育水準が低い家庭では、日々の生活で衛生資材(歯ブラシやフッ素入り歯磨き粉)を購入・定期交換することが困難です。また、適切な指導を受ける機会も少ないため、不適切な習慣が定着し、激しい痛みを伴う重症化に至りやすい実態があります(Hamid, 2019)

② 障害のある子どもたち

身体障害や発達障害、コミュニケーションのバリアを持つ子どもたちは、自力での適切な歯磨きが難しかったり、保護者の介護負担からケアの優先順位が下がってしまったりすることがあります(Abdalla & Mohamed, 2022)。その結果、虫歯だけでなく歯周疾患や歯部外傷(ケガによる歯の損傷など)のリスクも著しく高まります(Abdalla & Mohamed, 2022)

③ 複合的なリスク(交差性)

特に「低所得層」であり、かつ「障害を持っている」というような複合的なリスク(交差性)を抱える子どもたちは、受診アクセスの壁や費用の問題が重なり、必要なケアから最も取り残されやすい現状にあります(Abdalla & Mohamed, 2022; Hamid, 2019)

2. なぜ口腔保健が「学校安全」につながるのか?

「学校安全」といえば、防犯や防災、怪我の予防などを思い浮かべがちですが、広義には「子どもたちが心身ともに危険や苦痛から守られ、安心して教育を受けられる環境を整えること」も含まれます

未治療の口腔疾患は、この「学校での安全性と安心感」を揺るがす大きな要因となります

  • 身体的苦痛からの保護:慢性的な強い歯の痛みは、子どもの集中力を奪い、精神的ストレスを引き起こします。痛みを我慢しながらの学校生活は、子どもにとって安全で快適な環境とは言えません

  • 欠席・中退リスクの低減:痛みが原因で学校を休まざるを得なくなると、学習の遅れや不登校につながり、子どもの「学びの安全網」が崩れてしまいます

  • 早期発見とリスク回避:予防的な検診が約10%にとどまり、痛んでからの受診が大半(97%以上が未治療放置)である現状(Dawani et al., 2012; Hamid, 2019)において、定期的な観察が行われる学校は、重症化や怪我・感染症リスクを未然に防ぐ安全策(セーフティネット)として機能します

3. 「安全な学びや」としての学校基盤型アプローチ

医療体制やリソースが限られている低中所得国において、病院での受診を家庭だけに委ねる予防戦略には限界があります(Dawani et al., 2012)

すべての児童が平等に通う「学校」を拠点に口腔保健に取り組む「学校基盤型アプローチ(School-based approach)」は、特に脆弱層の子どもたちを守るための格好のセーフティネットとなります(Chandio et al., 2026; Dawani et al., 2012)

  • 格差を埋める:家庭の経済状況や保護者の知識水準に関わらず、学校に集うすべての子どもたちへ一律に歯磨き指導や予防啓発を提供できます

  • 日常的な習慣化と見守り:教員の協力を得て、日常のカリキュラムの中に衛生習慣(歯磨き指導など)を組み込むことで、「知識はあるが行動できない(Knowledge-Practice Gap)」状態を改善します(Chandio et al., 2026; Dawani et al., 2012)

  • 要配慮児童への包括的サポート:障害児を含む多様なニーズに配慮したプログラムを学校現場に導入することで、取り残されがちな子どもたちの健康面での安全を確保できます(Abdalla & Mohamed, 2022; Dawani et al., 2012)

4. 今後求められる視点と課題

今回の文献レビューでは、脆弱層の保護と学校安全をさらに強固にするために、以下の研究・実践が急務であることが提示されています

  1. 極貧農村部や遠隔地への調査拡大:大都市圏中心の調査から脱却し、よりインフラの未整備な地域の脆弱層児童の実態を把握すること(地域偏重の解消)

  2. ジェンダー(性差)に起因する安全・健康リスクの解明:家庭内のリソース分配や女子児童の通学・受診行動に影響するジェンダーギャップの検証

  3. 交差性(Intersectionality)に着目した実証ケア:「障害×貧困」「難民×未就学」など、重層的な脆弱性を抱える子どもたちへの現場介入プログラムの構築

まとめ

子どもたちの「学校での安全」を守るということは、単に事故を防ぐことだけではありません。 家庭の背景や障害の有無にかかわらず、すべての子どもが「歯の痛みに苦しむことなく、心身ともにすこやかに学べる環境」を整えることも、学校が果たすべき大切な安全対策の一つです

医療と教育が連携した「学校基盤型アプローチ」を充実させ、脆弱な立場にある子どもたちを包み込むセーフティネットを作っていくことが、これからの社会に強く求められています

参考文献

  • Abdalla, E., & Mohamed, H. (2022). Oral health status of children with disabilities: A review of literature. Acta Scientific Dental Sciences, 6(11), 25–31. https://doi.org/10.31080/ASDS.2022.06.1486

  • Chandio, K. A., Ikram Ullah, A., Farrukh, M., Anas, M., Zubair, Y., & Hamad Jaber Amin, J. (2026). Oral health awareness and hygiene practices among Pakistani children: A cross-sectional survey. Frontiers in Oral Health, 6, Article 1709750. https://doi.org/10.3389/froh.2025.1709750

  • Dawani, N., Qureshi, A., & Syed, S. (2012). Integrated school-based child oral health education. Journal of the Dow University of Health Sciences, 6(3), 110–114.

  • Hamid, S. (2019). Oral health disparities in 6-9 years old Pakistani school going children. Asian Journal of Pharmacy, Nursing and Medical Sciences, 7(1), 1–6.

  • Rizvi, K. F., & Bashir, R. (2015). Oral health status in public school children. Pakistan Oral & Dental Journal, 35(4), 649–652.

2026年8月4日火曜日

パキスタンにおけるデジタル格差と「学校安全」

 近年、情報通信技術(ICT)の発展やコロナ禍に伴う急速なオンライン化により、デジタル空間へのアクセスは教育や生活の機会を左右する不可欠な要素となりました。しかし、パキスタンをはじめとする低・中所得国では、既存の地域・経済・ジェンダー格差が「デジタル・デバイド(情報格差)」を通じて拡大・固定化しています

このデジタル格差は、単なる「学力や学習量の差」にとどまらず、子どもたちの生命や身の安全、心身の健康を守る「学校安全」を脅かす重大なリスクとなっています

1. デジタル格差が引き起こす「学校安全」の2つの危機

従来の学校安全は物理的な校舎の安全や防犯・防災が中心でしたが、教育のデジタル化が進むなかで以下の2つのリスクが浮き彫りになっています

① サイバーセーフティと心理的安全性(メンタルヘルス)の低下

十分なデジタルリテラシーやセキュリティ教育を受けないままネット環境に接続せざるを得ない子どもたち(特に農村部の生徒や女子生徒)は、サイバーハラスメントやネット上の性暴力リスクに無防備な状態に晒されています。また、オンライン学習の挫折や孤立感はメンタルヘルスを悪化させ、安心できる居場所(心理的安全性)を奪う要因となっています

② 災害・緊急時における「情報の孤立」

気候変動による大規模洪水などの災害時や緊急時、PC・スマートフォンや安定した通信手段を持たない家庭の子どもは、安否確認や緊急連絡、公的な支援情報から完全に遮断されます。情報からの遮断は、非常時における児童の生命・安全に直結する深刻な課題です

2. 根強く残るジェンダー格差と構造的要因

パキスタンにおけるデジタルアクセス阻害の根底には、通信インフラの未整備や深刻な停電・端末不足といった物理的障壁だけでなく、伝統的な家父長制や「女性にデジタル技術は不要」「家族の道徳や安全を脅かす」といった社会的ステレオタイプが存在します

しかし、適切なデジタルアクセスとリテラシーが確保されれば、思春期女子の健康管理や栄養改善、自己決定権の向上につながることが示されています。デジタル排除の構造を打ち破ることは、ジェンダー平等と子どもの安全・ウェルビーイングの向上に不可欠です

3. 「学校安全」を高めるために今後求められる研究と実践

既存の研究では「学力低下」や「インフラ不足」に議論が集まりがちですが、「学校安全」を確実にするためには以下の視点を深める必要があります

  • 防災・危機管理と緊急情報伝達の検証 停電や通信障害が多発する地域において、アプリだけでなくテレビ・ラジオなどのローテクを組み合わせた緊急連絡・防災教育モデルの評価が必要です

  • 学校における心理的サポート・カウンセリング体制 オンライン上のいじめや孤立感に対し、教員やスクールカウンセラーがどのように介入し、学校内の「心理的安全性」を担保・回復すべきかに関する実践研究が求められます

  • 教員向けのデジタルリスク管理・児童保護スキルの向上 教員のICT指導力だけでなく、児童生徒の個人情報保護やオンライン上の性搾取・いじめの早期発見など、デジタル空間の脅威から子どもを守るプロトコルの運用実態を明らかにする必要があります

おわりに

デジタル格差の解消や包摂的なICT教育の推進は、単に「教育の質」や「経済的機会」を改善するためだけのものではありません。パキスタンの困難な環境にある子どもたちをあらゆる物理的・精神的・デジタル的脅威から保護し、安心して学べる基盤を築く「学校安全の再構築」として捉え直し、包括的な取り組みを進めていくことが求められています

参考文献

l  Aga Khan Foundation Canada. (2025, July 9). A desktop and a dream: How one woman in Pakistan is helping to close the digital divide. https://www.akfc.ca/our-work/a-desktop-and-a-dream-how-one-woman-in-pakistan-is-helping-to-close-the-digital-divide/

l  Iftikhar, A., Ahmed, N., & Shah, S. u. M. (2023). Analyzing digital divide among university students of Pakistan. Turkish Online Journal of Distance Education, 24(2), 261–271.

l  Khadka, S., Liyana Pathirana, N., Sethi, V., Andreev-Jitaru, D., Nair, A., & Backholer, K. (2025). Closing the digital gender divide could help improve adolescent girls' health and nutrition across South Asia. BMJ, 388, e080812. https://doi.org/10.1136/bmj-2024-080812

l  Lateef, A., Noor, K., & Yousaf, S. (2025). Digital divide in education: Barriers to equitable access in Punjab, Pakistan. Journal of Social Signs Review, 3(2), 434–456.

l  Mohsin, A. (2025, September 29). Empowering youth through tech: Bridging Pakistan’s digital divide. LinkedIn. https://www.linkedin.com/pulse/empowering-youth-tech-bridging-pakistans-digital-divide-asma-mohsin-bgr0f

l  Sami, A. (2025). Digital divide and educational inequality: A post-pandemic study of online learning in rural and urban Pakistan. Journal of Social Science Perspectives, 2(1), 6–9. https://doi.org/10.65761/jssp.2025.v2.11.7

l  Shahzad, M. (2024). The impact of digital divide on the educational outcomes of deprived children in low-cost private sector schools in Lahore, Pakistan; post COVID-19 era. Pakistan Journal of Humanities and Social Sciences, 12(4), 3240–3256. https://doi.org/10.52131/pjhss.2024.v1214.2500

l  United Nations Children's Fund. (2023). Bridging the gender digital divide: Challenges and an urgent call for action for equitable digital skills development. UNICEF. https://data.unicef.org/resources/bridging-the-gender-digital-divide/

2026年7月28日火曜日

見過ごされる子どもたち:東地中海地域・パキスタンにおける「ゼロ・ドーズ」の現状と風疹排除への挑戦

  世界保健機関(WHO)が掲げる「予防接種アジェンダ2030」において、一度もワクチンを受けていない「ゼロ・ドーズ(未接種)」の小児への対応は最優先課題です。しかし現在、東地中海地域およびパキスタンでは深刻な医療格差が発生しています

1. 拡大する免疫ギャップの背景

2019〜2024年の5年間で、同地域のゼロ・ドーズの5歳未満児は累計1,230万人に達しました。紛争や貧困、医療制度の脆弱さに加え、COVID-19による混乱が追い打ちをかけました。結果として、麻疹第1期(MCV1)の接種率は80%に落ち込み、集団免疫に必要な95%の基準を大きく下回っています

2. パキスタンの「レッドアラート」とガバナンスの失敗

2024年時点で、地域の未接種児の90%がスーダン、イエメン、アフガニスタン、パキスタン、ソマリアの5カ国に集中しています

その中でもパキスタンは、未接種の乳幼児が65万1,000人以上に達し、パキスタン医師会(PMA)が緊急事態(レッドアラート)を発令しました。他4カ国のような激しい紛争がないにもかかわらず医療が崩壊している主因は、「行政上の怠慢」と「ガバナンスの失敗」であると強く批判されています。具体的には、縁故主義による人事、予防接種プログラム(EPI)の弱体化、遠隔地への供給網構築の失敗などが挙げられています

3. 風疹・先天性風疹症候群(CRS)排除への転換期

妊娠初期の妊婦が風疹に感染すると、子どもに重篤な障害(難聴や心疾患など)を引き起こす「先天性風疹症候群(CRS)」のリスクが生じます

2024年、WHO予防接種諮問委員会(SAGE)は「麻疹接種率80%以上でなければ風疹ワクチン(RCV)を導入できない」という従来の制限を撤廃しました。これにより、アフガニスタンなど未導入の国々にとって早期導入の絶好の機会が訪れています。パキスタンはすでにRCVを正式導入し地域の接種率向上を牽引していますが、今後は国内の地域格差や遠隔地の未接種児へどう届けるかが課題です

4. 危機打開に向けた提言と要求

公衆衛生の危機を克服するため、WHO地域委員会やPMAは政府に対して以下の抜本的対策を求めています

  • 地域共通目標(2030年):IRMMAフレームワークを活用して未接種児を50%削減し、未導入国へのRCV迅速導入と監視体制強化を進めること

  • パキスタン国内の改革:EPI資金の即時監査による不正排除、定期予防接種の「国家安全保障上の優先事項」化、GIS(地理情報システム)を用いた未接種児のデータ追跡、および現場医療従事者の処遇・安全の改善

まとめ

東地中海地域やパキスタンにおけるワクチン未接種児の削減は、単なる医療の問題ではなく、行政ガバナンスの回復と直結しています。データに基づいた効率的なアプローチと持続可能な財務基盤を築き、すべての子どもに予防接種を届ける包括的な取り組みが急務です

参考文献

低中所得国の脆弱層な子どもたちと「学校安全」から考える口の健康

低中所得国においては、経済的貧困や障害などの困難を抱える「脆弱層(要配慮集団)の子どもたち」ほど、口のトラブルに直面しやすく、それが「学校に通えない」「安全に学校生活を送れない」という二次的な問題へつながっていることをご存じでしょうか ? 今回はパキスタンなどの研究文献をもとに、...